
なぜ?川越に仙波東照宮があるのか?
なぜ? この地に仙波東照宮がある理由は?
この地に東照宮がある理由は、実は、喜多院第27世住職天海僧正が徳川家康公をこの地で祀ったからなのです。
家康公は、最初は日光東照宮に埋葬されたわけではありません。なんと、静岡県の久能山に葬られたのです。
その後、家康公の遺言で1617年、家康公の遺骸を日光に移葬しました。
但しここで二つの対立があります。では、家康公の遺骸は日光にあるのか? それとも遺骸は移送されず今も久能山にある。
という二つの説です。これについては、調査されていません。ミステリーのままなのです。
さて、話は戻して移送することになります。
久能山から日光へと移動します。1617年3月23日には、仙波喜多院の大堂に到着します。
そして、この場所で天海僧正は4日間、法要をしました。そこがこちらにある仙波東照宮になります。そうです!仙波東照宮はこの法要のために建てられたのです。
では、写真と共に仙波東照宮を説明します。

仙波東照宮があるこの東屋では、寝泊まりする人がいるようです。

仙波東照宮のお知らせによるとこの東屋での寝泊り等は所轄署の指導に依り禁止致します。と書かれています。

この階段を上った先が仙波東照宮になります。

仙波東照宮で石段の左側には、文化財はくにの宝です。みんなで大切にしましょう。と看板があります。その通りです。大切にしましょう。

仙波東照宮は川越大師喜多院の敷地内にあります。

仙波東照宮への入り口になります。

仙波東照宮は4日間の活躍でしたが、それにしても豪華に作られています。すごいです。

仙波東照宮の両脇には灯篭が並んでしました。

仙波東照宮になります。

仙波東照宮は4日間だけの使用でしたが、それにしても豪華に作られています。

仙波東照宮は、日光と久能山に並んで日本三大東照宮と呼ばれています。

仙波東照宮の手水舎(ちょうずや)なります。

仙波東照宮の灯篭になります。

仙波東照宮の灯篭は日光東照宮に似ています。時代が同じだからでしょうか?

仙波東照宮になります。こちらの本殿には木像で作られた徳川家康像が祀られています。

仙波東照宮の石灯篭たちです。歴代の川越藩主たちから献上された石灯籠になります。

仙波東照宮は朱色が特徴的ですね。

仙波東照宮は、江戸時代の頃、社殿や神器など江戸幕府の直営でした。

仙波東照宮の石鳥居は1638年に川越城主であった堀田正盛さんによって奉納されたものです。

仙波東照宮の唐門になります。

仙波東照宮のこちらが入り口になります。

仙波東照宮の境内での犬の散歩はかたくお断りします。と書かれています。

仙波東照宮のうんちくが書かれていました。

仙波東照宮の楓樹になります。
仙波東照宮のまとめと感想
仙波東照宮はまさに、久能山と日光東照宮を繋ぐ点のような存在です。その役割は大きく、江戸時代は、この地が大切だった証拠であります。
そして、ガイドの方がついてこちらが3大東照宮と説明していました。まさに、その通りだと思いました。