那須疎水公園に行ってきました!地元民にとっては、神様のような疎水です。
那須疎水ってなに?という方のために説明すると安積疎水(猪苗代湖から郡山市)と琵琶湖疎水(琵琶湖から京都市まで)そして、那須疎水が日本三大疎水といわれています。
那須野が原は明治時代まで農業が発展していませんでした。
理由は水がないからです。
そのため江戸時代までは、上黒磯と呼ばれる地区だけしか農業ができませんでした。農業ができる土地は那珂川の周辺だけでした。江戸時代の名主は交代制で渋井家・津久井家などが行っていました。
それ以外の地区は鳥野目キャンプ場を見るとわかるのですが、那珂川の周辺以外は高さ50メートルぐらいの崖になっています。井戸を掘って水を得るには、50メートルも掘らないと水が出ないのです。また川から水を運ぶのも崖を上り下りするため重労働です。
雨水を溜めてそれを生かすしか方法がありませんでした。
しかし、明治になって状況が変わります。
地元小学校の教科書にも載っている矢板さんと印南さんが灌漑用水を引いてくれるように、何度も中央に嘆願活動をしてようやく開発許可がおりたのです。
反対されていた理由は国の緊縮財政でした。
那須野ヶ原疏水は、5年に及ぶ地元の壮烈な請願運動と、わずか5ヶ月という短期間の工事で完成を見ることになりました。
公園からは、今でも当時の疎水の取り込み口の跡を間近に見ることができます。
最終的に那須疎水は、那珂川から引いた延長16.3キロの幹線用水路になりました。
そして、なんと土木遺産として国の重要文化財に指定されています。さらに、平成29年には、嬉しいことに世界灌漑施設遺産にも登録されました。
この用水は、コンクリート作りになり蓋がされるまでは、魚が捕れました。
家の近所を流れていたので、魚とりに出かけていました。
また、オニヤンマやギンヤンマなどが周辺を飛んでいたので、捕まえていました。懐かしい思い出です。
とりあえず、ここで車を止めます。
スイスイウオーキングの時は、仮設トイレができて、トイレの数が増えています。(スイスイWとは地元の小中学生が12キロ~20キロぐらい歩くイベントです)スイスイウオーキングに参加した時、娘の体調が良くなかったので、娘には1キロぐらい歩いたらリタイヤしようと約束をしていました。
しかし、娘は歩くのが楽しかったようで、なかなかリタイヤしません。歩いていたら気分がよくなって体調がよくなったようです。大人でもすごく疲れる距離のウオーキングでした。
感想
矢板様・印南様、那須疎水をありがとうございます。今もわたしを含め多くの人が大切に使わせてもらっています。偉大な先人に感謝感謝です。
那須疎水公園については、二人の頑張りの碑を建てて欲しいです。
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