経塚稲荷神社きょうづかいなりじんじゃさんは、経の塚に出来た神社です。
経塚稲荷神社さんは西那須野街道沿いにある良く目につく神社です。
こんにちは、経塚伝太郎です。今回は大田原市にある経塚稲荷神社さんを紹介させていただきたいと思います。こちらの神社はなんと戦国武将の大田原晴清さんの没後に所持していた一切経を埋めて、その後に築いた塚にできた神社になります。
大田原晴清さんとは? 1567年に大田原綱清さんの子として誕生しました。1585年には、那須資晴さんと宇都宮国綱さんとの激戦となった薄葉ヶ原の戦いで父親の綱清さんや弟の増清さんと参加しました。
1590年に大田原家の家督を継ぎます。その年はあの小田原征伐があった年でそこに参加し、駿河国沼津で豊臣秀吉さんに謁見しています。この時に主君である那須資晴さんは所領を没収されたり、那須七騎たちも減封の処分をされてしまいます。一方、大田原家は所領を安堵されました。伊達政宗さんのエピソードに少し似ていますね。
また、一度は所領を没収された那須家のために奔走し、秀吉さんに直接、懇願し、小さいながらも領主として復活させています。
1600年の関ヶ原の戦いでは東軍に属しました。その結果、下野森田に800石を加増され7900石に加増されました。慶長6年(1601年)7月に服部正成が大田原城を去る際には対上杉用の備えとして持ち込まれた徳川軍の大砲十挺のうち三挺がそのまま大田原城に与えられた。
1602年12月25日には、下野芳賀郡と那須郡と陸奥磐城郡に4500石を加増され、ついに合わせて1万2400石の大名となり、念願の大田原藩を立藩しました。
経塚稲荷神社さんの駐車場になります。
経塚稲荷神社さんの社務所です。
経塚稲荷神社さんに参拝したいと思います。
経塚稲荷神社さんには、大田原市指定の名木百選であるひがん桜があります。
経塚稲荷神社さんのひがん桜です。
経塚稲荷神社さんの鳥居です。西那須野街道沿いに面しています。歩道からすぐになります。
経塚稲荷神社さんの石碑です。
経塚稲荷神社さんには、大田原の名木100選のひがん桜があります。
経塚稲荷神社さんのひがん桜です。
経塚稲荷神社さんの鳥居になります。
経塚稲荷神社さんで参拝したいと思います。
経塚稲荷神社さんは、大田原神社奉納ですね。
経塚稲荷神社さんの鳥居を通り過ぎます。
経塚稲荷神社さんなのでお稲荷様です。
経塚稲荷神社さんのお稲荷様です。
経塚稲荷神社さんで参拝します。
経塚稲荷神社さんの社務所が見えます。
経塚稲荷神社さんで参拝をします。
住所 〒324-0058 栃木県大田原市紫塚1丁目3-2718-1
経塚稲荷神社さんの感想
経塚稲荷神社さんは、西那須野街道沿いにある静かな神社です。前の通りは車の交通量が多く、神社の前を車で何度も通ったことがありますが、今回、初めて参拝しました。駐車場もしっかり完備された安心して参拝できる神社です。
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