奈良県ではなく、栃木県芳賀町の般若寺跡
芳賀町の般若寺はかなり大規模だったようです。
こんにちは、般若伝太郎です。今回は芳賀町の般若寺跡を紹介させていたきたいと思います。般若寺といえば、奈良県が有名ですが、今回は栃木県にあった般若寺になります。
ことの始まりは江戸時代中期になります。8代将軍の徳川吉宗さんの息子である宗武さんの娘として1765年に田安家の館で種姫さんが誕生します。参考までで宗武さんはのちに徳川御三卿の一つである田安家を名乗ります。他に息子の宗尹さんが三卿の一つである一橋家を名乗りました。
さて、種姫さんですが、1775年12月に10代将軍である家治さんの養女となりました。その7年後の1782年に10代目の紀伊藩主徳川治宝さんと婚約が成立します。
しかし、ここで養父であり、将軍でもあった家治さんが1786年7月に病床に倒れ、一月後に他界します。その家治さんが病床にいる時に、種姫さんを呼んで遺言を告げます。野州【当時の下野のこと現在の栃木県です。ちなみに群馬県は上野で上州です。栃木が下州ではなく下野の野で表しています】の般若寺の僧である恵乗さんに頼んで、先祖の供養をしてもらうのじゃーー。私の没後は、種姫さんが私に代わって国家安寧、子孫繁栄のため、また吉宗さんや実父の家重さんたち親族の菩提をともらってくれーー。みたいな感じで、宝塔を建立しました。
こうして、種姫さんは官女らと一緒に写経なども合わせ、将軍の爪や髪などすべて塔内に奉納して菩提を祈ったそうです。
さて、現在ですが般若寺は、明治時代に焼失してしまいます。そのため、跡地には供養塔があり、般若寺の歴代僧の墓碑が残っている感じです。供養塔はな、なんと昭和55年1月に栃木県の有形文化財に指定されています。
芳賀町の般若寺跡に向かいます。
芳賀町の般若寺跡の周辺は長閑な田園地帯です。
芳賀町の般若寺跡の周辺は見渡す限りの田んぼです。
芳賀町の般若寺跡周辺はお米がたくさん採れますね。
芳賀町の般若寺跡の駐車場に到着しました。
芳賀町の般若寺跡の駐車場です。
芳賀町の般若寺跡の駐車場は3台ぐらい停められます。
芳賀町の般若寺跡周辺の地図です。
芳賀町の般若寺跡の謎の文字です・・・読めません。
芳賀町の般若寺跡の石碑です。
芳賀町の般若寺跡は整備があまりされていないようです。
芳賀町の般若寺跡を目指したいと思います。
芳賀町の般若寺跡へ杉林を進みます。
芳賀町の般若寺跡へは、右も左も杉です。花粉は大丈夫かな?
芳賀町の般若寺跡へ、杉林を進みます。
芳賀町の般若寺跡への道は掃除されています。安心ですね。
芳賀町の般若寺跡の宝塔が見えてきました。
芳賀町の般若寺跡の宝塔です。
芳賀町の般若寺跡の宝塔に近づいてみます。
芳賀町の般若寺跡まではまだまだ先です。
芳賀町の般若寺跡までさらに歩きます。なかなかの広さです。この山全部が般若寺だったのではないでしょうか?
芳賀町の般若寺跡にベンチを発見!休みません。
芳賀町の般若寺跡で疲れたらここで休みのもいいですね。
芳賀町の般若寺跡は、宝塔ではなく、現在は供養塔があります。
芳賀町の般若寺跡の供養塔になります。
芳賀町の般若寺跡の周辺は誰もいません。貸し切り状態ですね。
芳賀町の般若寺跡は杉林です。
芳賀町の般若寺跡を後にします。
住所 〒321-3305 栃木県芳賀郡芳賀町芳志戸4212
芳賀町の般若寺跡の感想
芳賀町の般若寺跡に行った感想は、ずばり、おすすめしません。駐車場から供養塔までの道のりは杉林です。近くに洗面所もなく、自動販売機もありません。般若寺や徳川家の歴史にすごく興味がある方には、おすすめかもしれませんが、一般的に行って楽しむ場所ではなく、建築物も少ないです。せめて杉ではなく桜とかなどが楽しめる公園ならば・・・と思いました。
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