日光東照宮周辺にある三重塔は、源実朝公が寄進しました!
三重塔は5.64四方メートルの建物です。
こんにちは、夫婦で日光輪王寺周辺散策ブログの山田伝太郎です。今回は日光東照宮周辺にある三重塔を紹介させていただきたいと思います。
こちらの三重塔はあの源実朝公が寄進したものです。
源頼朝公は知ってるけど実朝公って誰?そういう方も多いかと思いますので簡単にBARDします。
源実朝公(1192年 – 1219年)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍。鎌倉幕府を開いた源頼朝公の嫡出の次男として生まれ、兄の頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就く。政治は初め執権を務める北条氏などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。
実朝公は和歌を熱愛し、藤原定家さん(ていか)の指導を受けて『万葉集』『古今和歌集』をはじめ、古来の和歌を研究して独自の歌風を大成した。その家集『金槐 (きんかい)和歌集』3巻は約700首の詠を収めており、古今の絶唱と高く評価されるものをも含んでいる。
実朝公は、北条氏の専横を抑え、幕府の体制を安定させることを目指した。また、貴族社会との融和を図り、自らも正二位を授かった。しかし、実朝は27歳の若さで、北条氏の暗殺によって命を落とした。
実朝公の政治的功績としては、以下のようなものが挙げられる。
- 北条氏の専横を抑え、幕府の体制を安定させた。
- 貴族社会との融和を図り、自らも正二位を授かった。
- 武家政権の法制化を進めた。
- 南宋との貿易を再開した。
実朝公の暗殺は、鎌倉幕府の政治体制に大きな影響を与えた。北条氏は実朝公の跡を継いだ実弟の頼家公を傀儡として操り、幕府の実権を握るようになった。
という感じでかなりの大物ですね。
三重塔に向けて石段を進みます。
三重塔までは坂道を進みます。なかなかハードです。
三重塔は山の斜面を登るような階段を進みます。
三重塔付近の建物が見えてきました。
三重塔に到着しました。
三重塔を撮影します。逆光で・・・黒いです。
三重塔の近くを史跡探勝路が通っています。
三重塔そばにある史跡の案内図です。
三重塔を別の角度から撮影します。
三重塔の彫刻を見ると12干支が彫られていますね。
三重塔の彫刻をさらにズームしてみますね。
三重塔は干支が彫られていますね。
三重塔はよく手入れがされていますね。
三重塔を後にします。
住所 〒321-1431 栃木県日光市山内2383
日光東照宮周辺にある三重塔の感想
日光東照宮周辺にある三重塔は、源実朝公が寄進しました。日光の歴史を感じさせてくれます。
アクセス
日光東照宮周辺にある三重塔
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