那須黒田原といえば、亀梨和也さんの親戚がいることで有名ですが、そのエリアにはダイユー黒田原店さんがあります!
ダイユー黒田原店さんってどんなところなの?
那須黒田原地区では、亀梨和也さんがテレビで大活躍したことにより、亀梨さんの従弟が地元では、有名になりました。
従弟と友達とか、知り合いだという黒田原の人がたくさん現れました。
わたしは直接の面識はありませんが、従弟の知り合いだという方には、何十人もお会いしました。
そんな親戚の方も利用したことがあるのが、ダイユー黒田原店さんになります。
その店内はどんな感じなのか? 調べてきました!
那須町役所の正面にあります。周囲には、小学校や図書館があり、町の中心地となっております。
周辺を歩いていると、見回りで歩いている警察官の方に出会いました。挨拶を交わしました。さわやかな警察官の方でした。
店内になります。店内はお客さんで賑わっています。
ダイユーといえば、うまいものならなんでもダイユーという言葉がありました。
ダイユーさんは黒磯駅からスタートし、広がって行きました。
初代のお婆さんにお会いしたことがありますが、実に腰の低い丁寧な方でした。お店を見回りに来ていた時にお会いしました。
え! こんなにすごいことしているのに何で? と思うほど丁寧な方でした。
苦労された方は、素晴らしいですね。
店内が適度な大きさでとても歩きやすいです。商品もお得な物があって嬉しいです。
和菓子も美味です。
マーブルパンが安くなっていました。これは買いました。
出入り口になります。
感想
ダイユー黒田原店さんは、地元で便利なスーパーです。町の中心にあるので、大賑わいです。
また、那須鳥の唐揚げなどのお惣菜も実に美味しいです。お惣菜を買うのも楽しみの一つです。
家族全員が喜びます。夕飯はお惣菜で!
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那須黒田原NO1の人気ベーカリーといえばますやパン店さん
那須の玄関口になるはずだった黒田原駅がなぜなれなかったのか?
昔、那須高原の玄関口の駅といえば、黒磯駅でした。しかし、黒磯駅は那須町ではありません。
今は那須塩原市になります。また、現在の那須の玄関口の新幹線駅が停車する那須塩原駅も那須塩原市になります。
では、なぜ那須高原がある那須町の黒田原駅が玄関口になれなかったのか?
いえ、実は那須高原の玄関口になる機会があったのです。本来なら那須高原の玄関口の駅として、黒田原駅はさかえる予定だったのです。その計画が那須電気鉄道でした。
80年前の計画ですが、この計画が成功すれば、黒田原駅は今は、大盛況の駅になっていたかもしれません。
もしかしたら、新幹線が止まる駅に発展していたかもしれません。しかし、この計画は実現されませんでした。1925年12月に工事はスタートしたのですが、完成しませんでした。
その理由は、昭和初期による財政難などだったようです。
今は一日の乗降数は500名ぐらいだそうです。主に、那須高校の生徒さんと町外の高校に通う地元高校生がメインのようです。
駅前周辺は商工会議所や足利銀行などがあります。
駅の中に入ってみたいと思います。那須町3つの駅の中ではNO1の大きさの駅です。
駅の入り口になります。
駅舎について書かれています。
1887年【明治20年】7月に黒磯駅から白河駅が開通しました。そして、その4年後の1891年【明治24年】9月に黒田原駅が今の那須町役場前に開業しました。
は黒磯駅から乗換て、高久駅の次が黒田原駅になります。
自動販売機があります。
キヨスクはありません。このキヨスクですが、英語でKIOSKですが、本来の意味は、簡易な構造物になるのですが、日本語の意味では、清く安くを心ががけていることからキヨスクと呼ばれているようです。
JR東日本リテールネットのみが、キオスクと呼んでいるそうです。
あ、黒磯駅はニューデイズだったので、もし、黒田原駅にできたとしてもニューデイズになるかと思われます。
自動販売機の隣にゴミ箱もあります。親切な作りですね。
駅内には彫刻もあります。
駅構内には那須のパンフレットも置かれていました。
黒田原駅舎からでした。
感想
黒田原駅は、那須町にある3つの駅で一番大きな駅です。そして、さりげなく歴史の流れに翻弄された駅です。
仮にもし那須電気鉄道が開通していたら、この駅はどのように変化していたのだろうかと想像すると、実に惜しいような感じを受けます。
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