那珂川町なす風土記の丘資料館さん近くの那須官衙遺跡ってどんな感じなのか?
那珂川町なす風土記の丘資料館さん近くの那須官衙遺跡はまさに歴史の流れの重要地点です!
こんにちは、那須観光ブログの那須太郎です。さて、今回は那珂川町と那須烏山市を旅したいと思います。まず第一回目は、那珂川町なす風土記の丘資料館さん近くの那須官衙遺跡に行ってきました。
那須官衙遺跡になります。周囲に駐車場はありません。静かな場所です。ここがかつて、那須地区エリアで賑わっていたのかと思うと、考えさせられますね。詳しい内容は、なす風土記の丘資料館のビデオを見ると詳しく解説しています。
那須官衙遺跡の脇にも説明があります。内容的には、那須官衙が奈良と平安時代の那須国の役所跡ということです。
また昭和15年に一辺が約4センチで高さも約4センチの銅印が出土するのを切っ掛けに、4回に渡って発掘調査が行われました。その結果、約30基の礎石が発見することができました。その中でも3棟が保存されている状態です。
ところで肝心の那須官衙遺跡の大きさですが、南辺286mもあり、北辺はさらに広く310m、東辺はやや小さく180m、西辺も同じように173mといういびつか形の四角形となっていたようです。
ちなみに正庁跡は桁行き約11メートル、梁の間は約3.6メートルとなります。建築された時は、8世紀中頃になります。発掘された時は、赤瓦や赤色の顔料なども見つかっていたそうです。そのことから正倉が権威的な存在だったと考えられています。
さらに、この場所で銅印が見つかりました。)は東西11.25m、南北8.8mで桁行き約5.5メートル、梁の間は、8.8メートルの総柱式基礎建物が建っていたと考えられています。
またこの場所は、銅印が発見された事から銅印基壇と名付けられました。
他にも梅林基壇があり、そちらは南北14m、東西11mで桁行きは5.5メートル、梁の間も5.5メートルもある総柱式基礎建物が建っていたようです。ちなみに名前の由来は、梅の木が植えられていたので梅林基壇と名付けられたようです。
最後に那須官衙遺跡は昭和51年に国の指定史跡に指定されました。周辺には日本三古碑で有名な那須国造碑や上侍塚古墳(大田原市の国指定史跡です地元小学生が授業で古墳に登ったりしています)などが点在しています。
このことからずばり当時はこの辺が大変栄えていたことが伺えます。当時の都会です。
那須官衙遺跡の周辺になります。現在は長閑な雰囲気です。田んぼが多く見られます。
那須官衙遺跡周辺の道路になります。近くに駐車場はありません。
住所 那須郡那珂川町小川
那珂川町なす風土記の丘資料館さん那須官衙遺跡のまとめと感想
那珂川町なす風土記の丘資料館さん那須官衙遺跡は、周囲の古墳群などの痕跡から昔はかなり栄えていたことが伺えます。
その原動力は周囲を流れる那珂川の存在です。しかし、明治になり鉄道や昭和に高速道路ができると中心は移動してしまいました。そんな歴史を感じさせられる地域です。
アクセス