母智丘神社もちおじんじゃさんは三島神社さんの奥宮になります!
母智丘神社もちおじんじゃさんって鹿児島県と東京都にもあります!
こんにちは、那須観光ブログの赤田伝太郎です。さて、今回は母智丘神社もちおじんじゃさんを紹介させていただければと思います。
母智丘神社もちおじんじゃさん前の駐車場になります。目の前の建物は社務所ですね。
母智丘神社もちおじんじゃさんは、東京都町田市にもあります。芹が谷公園に隣接して鎮座しています。御祭神は、豊受姫大神と大歳神を祀っています。 また鹿児島県都城市の母智丘公園にも母智丘神社もちおじんじゃさんがあります。
那須塩原市の母智丘神社さんは、三島通庸さんが創設した開拓結社肇耕社ちょうこうしゃの敷地内にあります。
那須野ヶ原開拓で有名な人物といえば、印南丈作さんと矢板武さんらの那須開墾社があります。その近くになります。
母智丘神社さんの前の道は小道ですので、対向車には十分にお気をつけてください。
母智丘神社さん前の道です。
母智丘神社さん周辺は交通量はさりげなくあります。道の先を進むとライスラインという大きな道路にでます。この道は抜け道のため交通量があります。
では、母智丘神社さんにお参りに行きたいと思います。鳥居です。
母智丘神社さんの説明が出ています。
母智丘神社さんの参道になります。階段を登ります。神社は山の上になります。
母智丘神社さんは薄暗くなり始めています。
母智丘神社さんの参道を進みます。階段です。
母智丘神社さんの参道はよく手入れされています。
母智丘神社さんはのこの時は落ち葉がすごい量です。森ですね。
母智丘神社さんの階段をどんどん上ります。
母智丘神社さんの拝堂が見えてくるのと一緒に急配な階段が現れてきました。これはピンチです。これを登るには大変です。妻はここで待ってるといいだしますが、運動不足で太いので待機は許しません。運動するのです!
母智丘神社さんの階段をゆっくりと登ります。
母智丘神社さんの石段を一つ一つ攻略していきます。
母智丘神社さんはまだまだ先です。でも諦めず足を持ち上げます。
母智丘神社さんの屋根が近づいてきました。
母智丘神社さんがかなり近くになりました。
母智丘神社さんの石段をついに登り切りました。はあはあと息が切れます。大変でした。
母智丘神社さんでお参りをします。
母智丘神社さんの横を見ると裏手になにやら建造物があります。これは行くしかありません。
母智丘神社さんの裏手です。
母智丘神社さんの裏手のハンドㇽです。こ、これを回すと何かが起こりそうです。しかし、山の上にあるこのハンドルの正体は?
母智丘神社さんは赤田山の山頂部にありました。一つの山を登り切りました。登山家になった気分です。
赤田山頂には機械が埋め込まれていました。まさか、山の中にロボットが隠されているのかもしれません。ガン〇ムだったら夢がありますね。
母智丘神社さんの山頂からの景色です。
そーいえば、この辺は昔貯水地だったようです。
赤田山は松が多いですね。
三島通庸さんは、山形県令と福島県令を歴任しています。さらに、明治16年には、栃木県令を兼務していたそうです。どれだけなのでしょうか?
塩原道路である現国道400号の整備は三島さんが進めました。そして、国道4号まで繋げました。またJR西那須野駅そば迄国道400号は通っています。
山頂にある謎の機械たち・・・この正体は不明のままです。
謎はそのままにして暗くなってきたので下山します。外灯がないので、暗くなるまでに下山する必要があります。
遭難したら大変です。道を急ぎます。
下はかなりの崖です。足を滑られて落ちたら命の保証はないでしょう・・・
崖に恐怖を感じながらそれでも急いで足を進めます。
すると、我々の前にきけんの看板が目に飛び込んできました。危険なのです。
危険ではあるが、ここは急がなくてはなりません。
いざとなったらこの崖をおりれば・・・ちょっと難しいですね。
つ、ついに、道が落ち葉で覆われて見えなくなってしまいました。
周囲はすべて落ち葉です。すぐに陽は沈み薄暗くなり始めています。大ピンチ!
なんとか道なき道を進み、どうにか参道に戻ることができました。低山だからと言っても油断はできません。
鳥居まで戻ってきました。
なんとか戻ることができ一安心です。
住所 那須塩原市上赤田238
母智丘神社もちおじんじゃの感想
母智丘神社もちおじんじゃさんは、赤田山の山頂にあります。そのため低山を登るような感じです。さらに、神社の裏にはなぞの機械がありました。その正体は? 不明・・・です。
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