これからの塩原温泉の中心は塩原もの語り館です。
塩原もの語り館ってどんなところ?
明治と大正の文人たちに大人気だった塩原がどれぐらいの人気だったかを説明している施設です。今までの塩原にない新しいテーマの施設になります。
では入館します。
野口雨情さんとは? どんな人物なのか?
野口雨情さんはすごい有名人です。塩原が大好きだったようです。代表作には赤い靴などがある作詞家です。有名ですね。異人さんに連れていかれた歌です。
こんな大物が来ていたのには、びっくりしますね。そういえば、平塚らいちょうさんも塩原事件の現場がここになりますね。塩原温泉が大正時代のステータス的な場所だったのが伺えます。
また他には、しゃぼん玉が屋根まで飛んだのが有名な歌の作詞です。あとは証城寺の狸囃子ではたぬきが活躍します。証城寺の庭とお月さまです。
また七つの子では、カラスなぜ鳴くのカラスの勝手でしょうで志村けんが昔、ギャグにした有名な作詞です。
野口雨情さんは1882年生まれで1945年没の詩人です。
茨城県で生まれました。本名は英吉です。野口英世と一文字違いです。 東京専門学校(現早稲田大学)を中退しています。哀しい歌を口ずさんでいた感んじが漂いますね。
泉漾太郎さんってどんな人ですか?
塩原の旅館である和泉屋の田代太平さんのことです。ペンネームが泉漾太郎さんとなります。
野口雨情さんの弟子になります。その縁で野口雨情さんは、しばしば塩原を訪れ、福渡温泉の野天風呂を楽しんでいたようです。
また泉さんは、栃木県の学校の校歌を作詞しています。
有料ゾーンを出ると、レストランの入り口でした。
とても素敵なスペースです。これは食事をするしかないと注文をしようとすると・・・ラストオーダーが終了していました。
残念ですが、今回はあきらめます。
塩原もの語り館のまとめと感想
塩原もの語り館は塩原温泉の光である。すべてが古くなっていた塩原温泉に人を呼べる観光拠点が開設された。
今まで通りすぎるだけだった国道400号に人が戻った感じがする。
団体客メインだった塩原温泉は、バブル崩壊と共に停滞期に入り、塩原温泉からは活気が消えた。
それから長い年月が流れ、ゆっくりではあるが塩原は復活しようとしている。その波は関谷地区から動き始めている。
塩原温泉にも集客できる施設はあるが、本当の意味ではまだこの施設のみである。だが、確実に塩原温泉も動き出そうとしているようにみえる。ゆっくりではあるが・・・今後の塩原温泉に期待したいと思う。
営業時間 午前8時30分から午後6時
入館料 無料
資料館の入館料は大人300円小中学生200円になります。
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