新撰組の斎藤一さんのお墓がある会津若松市の阿弥陀寺さんは、どんなお寺さんなのか?
新撰組の斎藤一さんのお墓がある会津若松市の阿弥陀寺さん
こんにちは、夫婦で会津若松市ぶらり観光ブログの山田伝太郎です。今回は新撰組の斎藤一さんのお墓がある会津若松市の阿弥陀寺さんを紹介させていただきたいと思います。
阿弥陀寺さんは1603年に開基したお寺さんです。なんと開基した人物は下野国真壁郡【現在の栃木県一部と茨城県】生まれの良然上人です。福島県の安積郡の善導寺で住職をしていましたが、病気になり会津若松市の東山温泉に湯治に来ました。その時、会津を支配していた蒲生秀行さんです。その家臣の奔走により、阿弥陀寺が開基されました。そんな流れです。
阿弥陀寺さんに向けて足を進めます。
阿弥陀寺さんの近くにある渋川問屋さんに到着しました。
なぜ? 斎藤一さんのお墓が阿弥陀寺さんにあるのか?それは、ずばり!斎藤一さんの会津での活動にあります。新選組の3番隊長だった斎藤一さんは、戊辰戦争で会津藩と一緒に新政府軍と戦いました。
一方、新選組の土方歳三さんは、戦いの場を仙台に移しています。戊辰戦争後には会津藩と共に行動を一緒にします。またその頃には会津藩の藤田家の婿となり、名前を藤田五郎と改名しています。そうなのです。阿弥陀寺さんは、この藤田家のお墓があるお寺なのです。その関係で斉藤一さんのお墓がお寺にあるのです。その後は斎藤一さんは会津藩の大目付高木小十郎さんの娘の時尾さんと結婚しています。時尾さんはあの八重のさくらで有名な新島八重さんとも仲良しだったそうです。
渋川問屋さんの前を通って阿弥陀寺さんを目指します。
阿弥陀寺さんに到着しました。
阿弥陀寺さんの境内に入ります。
阿弥陀寺さんの説明があります。
阿弥陀寺さんの境内の様子です。
阿弥陀寺さんは、ずばり七日町通りの中心地にあります。
阿弥陀寺さんは、七日町駅前です。すぐの場所にあります。
阿弥陀寺さんには、鶴ヶ城から移転した建物もあります。
阿弥陀寺さんの本丸の中にあった物を移築しました。御三階です。
阿弥陀寺さんの御三階になります。
阿弥陀寺さんは新島八重さんゆかりのお寺です。
阿弥陀寺さんには、戊辰戦争で亡くなった1300名の会津藩の遺骨が埋葬された戦没碑があります。歴史的に重要なお寺さんになります。
阿弥陀寺さんの御三階の説明があります。見た目は3階建てですが、な、なんと実は4階なのです。
阿弥陀寺さんの斎藤一さんのお墓です。
阿弥陀寺さんの斎藤一さんのお墓には我々以外にも訪れている方がいました。新選組ファンの方でしょうか?
阿弥陀寺さんの御三階を後にします。ごさんがいと読みます。
阿弥陀寺さんを後にします。
住所 〒965-0044 福島県会津若松市七日町4-20
新撰組の斎藤一さんのお墓がある会津若松市の阿弥陀寺さんの感想
新撰組の斎藤一さんのお墓がある会津若松市の阿弥陀寺さんは、戊辰戦争の戦没者の碑があり、会津若松市に置いて重要なお寺です。また七日町駅が目の前にあり、会津若松の中心的な場所にあります。
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新撰組の斎藤一さんのお墓がある会津若松市の阿弥陀寺さん