立花宗茂さんが大名に復帰した赤館の跡には、何があるのか?
立花宗茂さんが大名に復帰した赤館の跡
こんにちは、立花伝太郎です。今回は立花宗茂さんが大名に復帰した赤館の跡を紹介させていただきたいと思います。
まず、立花宗茂さんって誰?と言う方も多いかと思われますので、簡単に説明させていただきます。立花宗茂さんといえば、義父の立花道雪【戸次鑑連】さんと実父の高橋紹運さんの息子であることで有名です。信長の野望ファンならば、この九州で大活躍した武将なのは知っています。統率が95ぐらいあり、ゲームでも天道では徴兵の時にかなり活躍する武将です。
さて、立花宗茂さんについて戻ります。安土桃山~江戸初期に活躍した武将です。戦国時代には、大友家の一族で重臣でした。戦国時代は島津家と戦い、やがて豊臣秀吉さんの家臣として九州平定で活躍します。1590年には小田原征伐で岩槻や江戸に参陣しました。2月1日には、秀吉さんから諸大名の前で宗茂さんを、【東の本多忠勝、西の立花宗茂、東西無双】と評しています。それほどの大人物なのです。
その後、関ヶ原の戦いで西軍に味方します。その結果、改易となり、浪人生活となります。一時は加藤清正さんの食客になりますが、やがて浪人とし、京都から江戸へと渡り歩きます。1603年には江戸で本多忠勝さんの世話で蟄居生活を始めます。
その翌年の1604年から流れが変わります。忠勝さんの推挙で江戸城に召し出されると、徳川家康さんから幕府の御書院番頭として5000石の給料をゲットします。すぐに、2代目将軍の徳川秀忠さんの御伽衆になり、陸奥棚倉に1万石を与えられて大名に復帰しました。そこが、ずばり赤館なのです。そのまま加増され2万5500石と給料が増えます。さらに、出世は続き、1610年には更に9500石の加増を受け、なんと3万5000石の領地の大名になります。一説によると一石は現在のお金に換算すると5万円ぐぐらいだと言われています。すると、3万5000石は17.5憶円になります。
1620年には、幕府から旧領の筑後の柳川10万9200石の大名に任命されました。見事なカムバックです。1622年には飛騨守に転任します。また伊達政宗さんや加藤嘉明さん・丹羽長重さんらとともに、徳川家光さんに戦国の物語を語る相伴衆に任命されています。
赤館の跡は山城のため、坂道を登ります。
赤館の跡までの道は途中で一方通行になっています。
赤館の跡の駐車場です。
赤館の跡の駐車場は広めです。
赤館の跡からの景色です。山が見下ろせます。
赤館の跡はつつじなどの植物が見られます。
赤館の跡は、公園になっています。
赤館の跡にどんな施設があるのか見てみたいと思います。
赤館の跡の様子です。
赤館の跡にも棚倉の観光案内地図があります。
赤館の跡は緑がいっぱいです。
赤館の跡で大きな建物を発見しました。
赤館の跡は遊具などは見当たりません。
赤館の跡は芝生が広がっています。
赤館の跡の小道を進みます。
赤館の跡には無料休憩所があります。
赤館の跡の階段を登り、無料休憩所に向かいます。
赤館の跡の無料休憩所は閉まっていました。残念です。
赤館の跡から棚倉の街並みが見下ろせます。
赤館の跡からの眺めです。
赤館の跡からは棚倉町がよく見えますね。
赤館の跡の公園内を散策します。
赤館の跡の休憩所は閉まっていましたが、中の様子を見てみました。
赤館の跡の休憩所が開いていれば、棚倉の街並みをまったりと眺めながら軽食が食べられたのですが・・・残念です。
赤館の跡を後にします。
住所 〒963-6131 福島県東白川郡棚倉町棚倉風呂ケ沢
立花宗茂さんが大名に復帰した赤館の跡の感想
立花宗茂さんが大名に復帰した赤館の跡には、無料で休める休憩所がありました。また、棚倉の街並みが一望出来る素敵な場所です。棚倉の街並みを眺めながらケーキが食べたかったですね。
アクセス