御薬園さんの心字の池に建つ楽寿亭のミステリーの謎?
御薬園さんの心字の池に建つ楽寿亭には、なぜ刀傷があるのか?
こんにちは、会津若松夫婦でぶらり観光ブログの楽寿伝太郎です。
今回は御薬園さんの心字の池に建つ楽寿亭さんについて紹介させていただきたいと思います。この建物には、なんと刀傷があるのです。しかし、御薬園さんは戊辰戦争ではなんと戦場にはなっていません。
なぜ? ここに刀傷跡があるのか?そのミステリーに迫ってみたいと思います。
まずは心字の池の中島に建つ楽寿亭さんに向かいます。
心字の池の中島に建つ楽寿亭さんを目指して道をさらに奥へと進みます。
心字の池に到着しました。池沿いを歩きます。
心字の池の中島に向かいます。
心字の池の中島に建つ楽寿亭さんが見えてきました。
心字の池の中島に建つ楽寿亭さんです。1696年に藩主や藩の重役たちが集まって使用していたようです。楽寿亭【らくじゅてい】の名前は三代藩主の正容さんが命名しました。
心字の池の中島に建つ楽寿亭さんは、よく手入れされた建物です。
心字の池の中島に建つ楽寿亭さんの周りを一周したいと思います。
心字の池の中島に建つ楽寿亭さんです。
心字の池の中島に建つ楽寿亭さんの東側です。
心字の池がよく見えます。
心字の池ではカモが泳いでいます。のどかですね。
心字の池のカモはたくさんいます。
心字の池の中島に建つ楽寿亭さんに北側に回ります。
心字の池の中島に建つ楽寿亭さんの濡れ縁に、なんと戊辰戦争の時に付けられた刀傷跡があります。しかし、戊辰戦争の時にはこの場所は戦場になっていないようです。となると誰が傷をつけたのか?
普通に考えると会津藩士ではないと考えられます。すると会津戦争の対戦相手である板垣退助さんや伊地知正治さんなどの新政府軍の中になるのではないでしょうか?
しかし、もう一つ、会津藩に対する恨みがある人物像が他にもいます。それは会津戦争後の会津世直し一揆の人たちです。会津藩に対する反発を考えるとこちらの線も考えれるのではないでしょうか?
真実は如何に?
心字の池の中島に建つ楽寿亭さんを後にします。
心字の池の中島に建つ楽寿亭さんのさらに奥を目指したいと思います。
心字の池の周りをぐるりと散策します。
心字の池の奥へと向かいます。
心字の池の奥には何があるのか?
住所 〒965-0804 福島県会津若松市花春町8
御薬園さんの心字の池に建つ楽寿亭の感想
御薬園さんの心字の池に建つ楽寿亭は、藩主や重臣たちが利用した施設です。そのため庭園からの景観も素晴らしく、静かな雰囲気がある佇まいです。そして、刀傷跡があるのが特徴的です。
誰が付けたのかは不明になっていますが、個人的には会津世直し一揆に関係する人たちが付けたのではないかと思います。真実は謎のままです。
アクセス
御薬園さんの心字の池に建つ楽寿亭
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