テレビで話題になった天宮(てんぐう)のパンに行ってきました。
天宮のパンってどんなパン屋さんですか?
テレビで森三中の大島さんとロバートさんが一緒に出ていた番組で天宮パンがでていました。
その話を地元両郷の人に訊ねてみると、「大島さんの実家、そこから5分ぐらいですよ」とのことです。
知り合いなのですね。両郷中央小学校は全校生徒が50名ぐらいなので、みんな顔見知りのようです。
では天宮のパンはどんな味のパンなのか? 食べてみました。
外装になります。両郷の知人によると果物が美味しいとの情報も。
外装その2になります。イメージとしては、日本昔話に出てくるようなところにあるパン屋さんです。↓写真
看板が出ています。ここがパン屋さんで間違いありません。
前の道路はこんな感じです。道は狭いです。しかし、すでにお客さんが来ています。人気なのです。
天宮のパンの感想はすごいの一言です!
那須観光をしてきて商売は場所が大事だと思っていましたが、それをすべてひっくり返すようなパン屋さんです。
誰もいないような場所で営業し、遠くから人が来ているのを見ると商売とはわからないものだと考えさせられます。
このお店の素晴らしいところは、お客様の誘導が見事なことです。
わたしたちは、伊王野の道の駅から雲厳寺に向かう途中の道で、天宮のパンの看板を見ました。
それは、森しかない山道です。
「え? この辺にパン屋さんがあるの?」
そんな場所でした。
当然、興味を持ったので看板の方向に車を進めました。
妻はパン屋ハンターなので、すごく乗り気です。
しかし、500メートルほど走ると道が二手に分かれていました。田圃しかない場所にまた天宮の看板です。
「え? ここでいいの?」
と思いながらさらに500メートルほど進むと、また天宮の看板が見えます。
さらに田んぼ道を走らせると、プレハブのような建物が現れました。
「ここでいいのかな?」
訝し気に車を止めます。中に入るとなんと先客が2人ほといて待っています。
ショーケースのパンは売り切れ間近です。流行っているのです。
驚きのお店です。商売とは場所が重要ですが、アイデアと努力と情熱で人を呼ぶことができるのです! 勉強になりました。
アクセス
あん小屋大田原店さんは、2月10日から13日まで一周年記念お得イベントあり!
森三中の大島さんも訪れたことがある地元の雲巌寺に行ってきました。
大田原市の八溝山地にある臨済宗妙心寺派のお寺です。福岡県の聖福寺、福井県の永平寺、和歌山県の興国寺と並んで、禅宗の日本四大道場と呼ばれています。座禅の膳です。すごいお寺なのです。
では参拝します。まずは山門のフロントにある朱塗りの反った橋を渡ります。
すると石段が現れるので、それを登るとフロントに釈迦堂、獅子王殿がストレートに並んでいます。代表的な伽藍な配置です。
お腹も膨れたので、じっくりと参拝したいと思います。
入り口の右手には、樹齢550年の杉の大木があります。樹高約33m、幹囲6mもあります。環境庁による「関東の巨樹」にも選出されています。大迫力です!
雲巌寺は1283年の鎌倉時代に執政、北条時宗によって建立されました。かなり歴史ある建物ですね。
ご本尊は釈迦牟尼仏です。
釈迦牟尼仏って何ですか?
釈迦牟尼仏とは、仏教の開祖である釈迦を、仏陀として敬う呼び名です、お釈迦様です。
北条時宗ってどんな人?
北条 時宗は、鎌倉幕府第8代の執権です。NHKの大河ドラマにもなりました。有名なのは、元寇です。モンゴル帝国である元の2度にわたる侵攻を退けました。戦前までは日本の国難を救った英雄でした。
あの有名な松尾芭蕉も1689年4月に雲巌寺を訪れ、句を残しています。
啄木も庵は破らず夏木立(意味は下記に)
実は雲厳寺は、松尾芭蕉の禅師である仏頂和尚が修行していたところです。芭蕉は和尚の山居後を訪ねて、上記の句を詠みました。意味は、
「寺をつつきこわす鳥とされている木啄(きつつき)も、この庵(いおり)だけは破らなかったのだ。
今、夏木立に囲まれて、昔のままの別天地のような感じのする場所であるよ」という意味の句になります。
雲巌寺参道沿いには、水戸光圀のお手突きの石があります。
この石に関しての資料や文献は一切ありません。すべては謎なのです。
またなぜ水戸光圀が参拝に来たかといえば、江戸時代は、ここは水戸藩の領地だったからなのです。その関係でたびたび参禅に訪れたようです。
水戸光圀って誰?どんなことをした人なの?
徳川 光圀は、水戸藩の第2代藩主です。(今の茨城県水戸市です)
世間一般では、水戸黄門として知られいている人です。
水戸藩初代藩主徳川頼房の三男ですが、跡取りになりました。ですので、徳川家康の孫になります。大日本史を編集したことも有名です。
アクセス
森三中の大島さんも訪ねたことがある天宮のパン屋さんはすごいです。