那須烏山市にある烏山城跡は、夏に行くのは危険です!
那須烏山市にある那須宗家の居城だった烏山城跡
こんにちは、烏山伝太郎です。今回は那須烏山市にある烏山城跡を紹介させていただきたいと思います。那須烏山市の中心から北西に位置する八高山に築かれた山城です。
那須与一さんの子孫である那須資之さんと沢村資重さんの不仲から弟の資重さんが下境の稲積城に移った後、1418年に烏山城を築城しました。
それからは、下那須氏の本拠となり1516年の上下那須氏統一から1590年の那須氏改易までの長い間、那須宗家の居城として活躍します。
城の大きさは東西で約370メートル、南北には、約510メートル、面積はなんと約88ヘクターㇽに及ぶ巨大なお城です。
展望台から先が烏山城跡に続きます。
烏山城跡と亀山神社とあります。
城跡の遊歩道?を進みます。
烏山城跡入り口の展望台にはブロンズ像があります。
烏山城跡は山道です。
烏山城跡はまさに山城です。
烏山城は戦国時代には、茨城県の佐竹氏により度々攻撃をされています。栃木県VS茨城県ですね。
烏山城は、1563年の大海の戦い、1566年の治部内山の戦い、1567年の大崖山の戦い・霧ヶ沢の戦いなどで城下まで攻め込まれています。まさに、大ピンチです。恐るべき茨城県・・・
1563年の大海の戦いとは、大関高増さんが、大田原綱清さんと佐竹家一族の東義堅さんと共に烏山へ攻め寄せた戦いです。城主の那須資胤さんは烏山城近くの大海で戦いました。
最終的に籠城することで山城なので落とすのが難しく、大関勢は兵を退きました。この内輪もめによって、那須エリアは、大関・大田原・佐竹対那須資胤氏という構図になりました。【大関さんは黒羽城主ですね】
1566年の治部内山の戦いとは、佐竹氏家臣の佐竹義堅さんと大関高増さんの下那須連合、さらに宇都宮氏も加わった約3300人の大軍団で攻められましたが、千本資俊さんという部下が数的不利を覆して連合軍を撃破し、義堅さんを生け捕りにして、見事勝利を収めました。
この戦いで大活躍した千本資俊さんですが、危険人物だと思われたのか? 息子の資政さん共々、太平寺に誘い出され、大関高増さんや大田原綱清さんによって殺害されてしまいます。黒羽藩・・・怖いですね。
1567年の大崖山の戦いは、2月に長倉義当さんに兵士数6500人に佐竹家臣の南路義郷さん、戸村義広さん、小場さん・武茂さん・大山田さん・烏子さん・横田さん・松野さん・石川さん・大金さんらと共に上那須勢と合流し、烏山城を攻めた戦いです。大関さんは200の兵で、佐竹勢とともに那珂川を渡り大崖山のふもとに陣をしきました。
烏山城の那須資胤さんは10歳になる嫡男の資晴さんと共に、兵士数1500で対岸に陣をしきました。6500人対1500人なので那須資胤さんは、兵士数で大負けです。誰も勝てるとは思えないほどの兵力差です。
ここで奇跡が起こります。
2月の寒い時期なので那珂川を渡ってくることはないだろう長倉義当さんは考えていたようですが、なんと資胤さんは寒い川を渡り、長倉義当さんの陣へ押し寄せたのです。この奇襲により、勝利を収めたのです。
4月14日には、再び5000の大軍を長倉さんに与えて出陣させましたが、勝利を掴むことはできませんでした。この後は、伊達政宗さんや北条氏政さんとの戦いを控えていたため、
信長の野望ではあまり強くない設定ですが、この戦いを見ると強いですね。
烏山城址には、鉄塔があります。こんな山奥によく作ったものだと感心します。すごい山の頂上なのです。
烏山城址の鉄塔を見上げんがら通り過ぎます。
烏山城址の鉄塔の裏側に怪しげな穴があります。これはなんでしょうか?
烏山城址の鉄塔は、電波塔でしょうか?
烏山城址にある鉄塔となぞの造形物・・・その正体はわかり次第更新したいと思います。
烏山城址をさらに進みます。
烏山城址を歩くときに必要なものは飲料水です。さらに、虫よけスプレーです。虫がすごいです。
烏山城址に夏は行くのをおすすめしません。虫がすごいです。
烏山城址で休憩したいのですが・・・虫が追いかけてくるので、休めません。立ち止まったらすぐに蚊の音がします。大ピンチです。
烏山城址は、案内板が少ない上に、誰もいません。人に聞くこともできません。
烏山城址を進んでいると杉林に周囲が変わってきました。
烏山城址は杉林です。そして、蚊のカモになりそうです。立ち止まれないです。
烏山城址を進みます。あとどれぐらいでゴールなのかわかりません。疲れてきました。
烏山城址は山城なので、攻めにくそうですね。
烏山城址をたんたんと歩きます。
烏山城址の杉林を進む・・・
烏山城址に近づくと杉林が深くなってきます。
烏山城址は整備されているのですが・・・誰も出会いません。
烏山城址は虫のシーズンはやめましょう。
烏山城址で写真を撮りながら蚊の軍団から逃げています。すごく疲れてふらふらです。
烏山城址を進みます。あと少しでゴールだと信じたいです。
烏山城は1417年に沢村資重さんが築城したといわれてます。
主な部分は、古本丸と本丸【二の丸】北城・中城と西城の五つの城郭に分かれています。
烏山城址は一部は崩れそうです。雨の日などはあまりおすすめしません。
烏山城址は広いですね。
烏山城址の写真には蚊は写っていませんが、今も逃げてます。
烏山城址の案内です。もう早く下に降りる道を探しています。見当たりません。
烏山城址からの出口を探します。
烏山城址には、休憩するエリアがありません。
烏山城址は関東ふれないの道です。蚊とふれあっています。かゆいです。
烏山城址は止まったら負けです。蚊の刺されます。
烏山城址の出口!早く出口という心境で歩いています。疲れています。
烏山城址でこの時は汗だくだくです。すごい汗です。臭いです。蚊が寄ってきます。
烏山城址から脱出すれば、車には着替えがあるので、早く着替えたいです。
烏山城址の山道を進みます。
烏山城址の杉はまだ大きくないですね。
烏山城址は杉ではなく、広葉樹林がよかったのではないでしょうか?
烏山城址は紫陽花とかなども良いかと思います。杉では観光に誰も来ません。
烏山城址は、紫陽花とかユリとかもいいですね。
烏山城址の観光地化を町でも考えてみたらどうでしょうか?山あげ祭り以外の観光資源があると雇用が生まれますよ。
城址の車橋跡です。
城址を進みます。
城址の杉林を進みます。
城址・・・歩き疲れました。
城址は休憩したくてもできない・・・恐ろしい場所です。
城址の矢穴跡です。
城址をもくもくと進みます。
城址の出口は見えません。
城址は誰もいないのでまるで迷子になったようです。
城址で彷徨います。
城址で実は、後ろから妻がついて来ています。
城址で妻は愚痴ってました。何で連れてくるのだ! 女性連れは止めましょう。特に夏はハードです。
城址の石垣が見えてきました。
城址は正直、もうちょっと整備して欲しいですね。桜エリアとか紫陽花エリアとか分けて欲しいですね。すぎすぎすぎでは・・・
城址の石垣です。
城址ではなく、大田原城跡は桜が咲いてましたし、伊王野城址も花が咲き乱れていましたよ。
城址の杉は残念ですね。
城址は、せめて公園にしませんか? 蚊はいやです!そんな気持ちで歩いていました。
城址のゴールはまだまだ・・・疲れたーーーです。
城址の案内図を見てため息です。ゴールは遠い・・・
城址をふらふらと歩きます。
城址で立ち止まったら終了です。
城址で蚊に刺されないように首周辺をばしばし叩きます。
城址の写真を見ても道がわからなくなってきた。
城址のこれを道を言うのか?
城址を那須烏山市はもう少し整備して欲しいですね。せめて公園にしましょう。
城址の杉林を進む。
城址は杉林では観光地化できないですよ。
烏山城址の下らり階段を下りてついにゴールです。
城址の下界が見えてきました。
城址からついに帰ってきました。
城址には、もう二度と行くことはないでしょう。
城址は、正直、地獄でした。
城址から地上に戻ってきました。
城址は行かないことをおすすめします。
城址は、観光地ではありません。修験道です。
城址からアスファルトの道に到着しました。
城址から滝田のポケットパークは2.9キロメートルです。
城址から庁舎の駐車場まで歩きます。
アスファルトの道は蚊が襲ってこないのでのんびりと歩けて嬉しいですね。
住所 〒321-0631栃木県那須烏山市城山
感想
那須烏山市にある烏山城跡で我々は得物でした。まさに彼らにとって我々は飛んで火にいる夏の虫だったのでしょう。まさに地獄のような体験でした。
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