日光金谷ホテルさんは日光東照宮見学には最高のロケーションです。
日光金谷ホテルさんってどんなところ?そんな方のために簡単に解説します。
日光金谷ホテルさんは、日光東照宮の雅楽演奏者であった金谷善一郎さんが、日光を観光する異国人のために、明治6年に金谷カッテージ・インとして宿泊施設を作ったことから始まります。
明治26年には金谷ホテルをオープンしてから、多くの有名人が宿泊しています。
例えば、ヘボン博士や、著書日本奥地紀行に金谷カッテージ・インを紹介したイザベラ・バードさんがいます。英国大使館別宅に出ていた人です。また相対性理論で有名なアインシュタイン博士やヘレン・ケラーさんなども宿泊しています。かなりすごいホテルです。
明治24年から残る宿帳には、歴史に名を連ねた人々の署名がチェックされ、その有名人の宿泊記録の一部は、本館1階ロビー隣の展示コーナーで見られます。
日光の社寺が1999年に世界遺産に登録され、さらに金谷ホテルも登録有形文化財となっています。
そんなすごいホテルを写真でご案内します。
ギャラリーでは、金谷ホテルについての説明書きがありました。明治6年東照宮の楽師だった金谷善一郎さんが、アメリカ人、J.C.ヘップバーン博士と知り合い、自宅の一部を海外の方の宿泊施設とした金谷カッテージ・インを開業したと書かれていました。これが金谷ホテルの始まりだったのです。
当時の日本にはロングバケーションといった慣習も、リゾートという言葉も、ましてや肉食すらない、そんな時代にホテルとしてスタートしました。
明治11年には、博士の紹介によって英国人旅行家のイザベラ・バード女史が日本奥地紀行で、金谷カッテージ・インは日本のリゾート避暑地といえば日光の金谷ホテルという地位をゲットしました。
明治26年には、現在地に2階建て洋室30室の金谷ホテルをオープンさせました。
明治35年には県内で初めて電話を導入し、明治42年には、自家用水力発電所をゲットしました。さらに、外国製洗濯機をゲットし明治45年)ボイラーの給湯と暖房設備までしています。まさに最先端の施設だったのです。
大正時代に入り、日光御用邸が開設されると、日光は国内外の要人の交歓・社交の場として盛り上がりました。
その流れで金谷ホテルも、大正11年には、なんと英国皇太子殿下のご宿泊から外国王室、国内宮家のご宿泊という素晴らしい状態が続きました。まさに、伝統のある高級ホテルなのです。
日光金谷ホテルのまとめと感想
日光金谷ホテルは東照宮見学をするには、ロケーション的にとても便利である。さらに伝統ある格式が高いホテルでもある。今までの著名人が利用したホテルというだけでもかなりの興味深いホテルである。一生に一度は泊まってみたい夢のようなホテルである。
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