会津若松市にある鶴ヶ城の始まりは1384年に遡ります!
会津若松市にある鶴ヶ城の天守閣に登ってみました。
こんにちは、会津若松城夫婦ぶらり観光ブログの会津伝太郎です。今回は会津若松市にある鶴ヶ城を紹介させていただきたいと思います。
その前に簡単に鶴ヶ城の歴史を振り返ってみたいと思います。会津若松市にある鶴ヶ城は、1384年に蘆名直盛さんが作ったのが始まりです。それから蘆名氏によってこの城は黒川城と呼ばれ繁栄していきます。
その後、なんと1589年にあの有名な伊達政宗さんによって滅ぼされます。しかし、黒川城をゲットした政宗さんですが、1590年には、豊臣秀吉さんに臣従することにあり、黒川城は召し上げられてしまいます。無念ですね。
さて、伊達政宗さんの代わりに黒川城に入ったのは、1592年に蒲生氏郷さんです。参考までに蒲生氏郷さんの奥さんはあの織田信長さんの娘次女相応院さんんなのです。超エリート武将ですね。その証拠に息子の秀行さんの奥さんはあの徳川家康さんの三女振姫さんなのです。
この地を治めた蒲生氏郷さんは、黒川の地名を若松と変えます。その後、息子の秀行さんが跡を継ぎますが・・・な、なんと家中騒動が起き、秀行さんは若松92万石から18万石の下野宇都宮に移封されてしまいます。そこで代わりに若松城に入ったのが、あの有名な上杉謙信さんで有名な上杉景勝さんです。120万石で入封しています。
そんな上杉さんの若松城生活も長くは続きません。1600年の関ヶ原の戦いに敗れると、30万石で米沢へと移封しました。
さて、次は誰が会津を治めるのか?ここは驚きの蒲生秀行さんです。まー家康さんの義理の息子さんなのでありえる話ですね。返り咲きです。頼りになるのは奥さんの実家パワーです。
その後、1627年に嫡男の忠郷さんが後継ぎがなく亡くなると、次男の忠知さんが跡を継ぐとともに伊予松山に入封となります。その代わりに伊予松山にいた加藤嘉明さんが若松城に入封します。
ところが1643年になるとり加藤明成さんが改易されます。そして、山形から徳川家光さんの異母弟である保科正之さんが23万石で入封します。そこからは安定し、ついに明治維新まで会津松平家の居城となりました。途中で保科さんから松平に改名しています。
会津若松市にある鶴ヶ城の天守閣を目指したいと思います。
鶴ヶ城の天守閣に向けて進みます。
鶴ヶ城は城なのでぐるぐると回ります。
鶴ヶ城には観光客の姿が多く見られます。
鶴ヶ城の石垣に沿って進みます。
鶴ヶ城の天守閣周辺の敷地内にはな、なんと洗面所はありません。ご注意ください。
鶴ヶ城の天守閣ですね。
鶴ヶ城を目指したいと思います。
鶴ヶ城が見えてきました。大きいですね。
鶴ヶ城はこんな感じです。
鶴ヶ城の天守閣に向かう前に検温をします。コロナ対策がしっかりとされていますね。、
鶴ヶ城の天守閣入り口を目指します。
鶴ヶ城の天守閣に登るには、チケットが必要です。
鶴ヶ城で今回は、120円もお得になるチケットを購入します。
鶴ヶ城の天守閣にいざ登ります。
鶴ヶ城の博物館は撮影禁止です。ペットも禁止ですね。
鶴ヶ城に入城したいと思います。
鶴ヶ城といえば、白虎隊ですね。
鶴ヶ城の天守閣入り口を目指します。
鶴ヶ城の天守閣が近く・・・見上げます。
鶴ヶ城の中は撮影禁止エリアがあります。
鶴ヶ城の入り口に向かいます。
鶴ヶ城の入り口の階段を登り、いよいよ天守閣を目指します。
鶴ヶ城の撮影OKエリアに到着しました。この上が天守閣です。
鶴ヶ城の階段は危ないので押したりしないようにしましょう。
鶴ヶ城の天守閣に向かっての注意書きを素敵なイラストで解説しています。
鶴ヶ城に来場した人へのメッセージがあります。いよいよ天守閣です。
鶴ヶ城の天守閣に到着しました。ついに来ました!
鶴ヶ城の天守閣を一周したいと思います。
鶴ヶ城の天守閣です。
鶴ヶ城の天守閣の上は風が強いですね。
鶴ヶ城の天守閣の周りをぐるぐると回りたいと思います。
鶴ヶ城の天守閣から外に帽子を落とさないようにしましょうとあります。
鶴ヶ城の天守閣を一周歩き終えました。下に降ります。
鶴ヶ城の天守閣の様子です。
鶴ヶ城の天守閣からの景色をとにかく撮影します。
鶴ヶ城の天守閣からの景色です。
鶴ヶ城の天守閣です。
鶴ヶ城の天守閣は、人が大勢います。
鶴ヶ城の天守閣から撮影している人も多いです。
鶴ヶ城の天守閣はハチに注意です。逃げ場がないですね。
鶴ヶ城の天守閣からの下り階段は傾斜があるのでお気をつけてください。
住所 〒965-0873 福島県会津若松市追手町1-1
電話番号 0242-27-4005
会津若松市にある鶴ヶ城の感想
久しぶりに訪れた会津若松市にある鶴ヶ城の天守閣からの景色は実に見応えがありました。さくらの季節だとまた別の景色が楽しめそうですね。
アクセス
会津若松市にある鶴ヶ城