〇日光東照宮輪蔵さんは、陽明門さんに隠れてますがさりげなく豪華です。中鳥居と燈籠

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日光東照宮輪蔵さんと中鳥居・鉄燈籠は、陽明門の前にあります。


日光東照宮輪蔵さんは、豪華なのに陽明門に隠れている感じです。


 こんにちは、夫婦で日光東照宮さん散策ブログの山田伝太郎です。

 今回は日光東照宮輪蔵さんを紹介させていただきたいと思います。

 日光東照宮輪蔵さんはどんな建物なのか?ずばり経蔵です。

 1636年に建立され、国の重要文化財として国宝にも指定されています。

 輪蔵さんとは、回転式の本棚のことで、中に一切経などの経典が収められています。

 裳階付き宝形造裳階とは、屋根の下に小さな屋根を重ねたような構造の銅板葺きの一階建です。

 外壁は極彩色の彫刻で飾られており、その華麗な装飾は日光東照宮さんの代表的な建築物の一つとなっています。

 輪蔵さんの内部は、二層になっており、上層には一切経が収められています。一切経とは、仏教の経典をすべて集めたもので、約1000巻に及ぶといわれています。下層には、経典の修復や保管に必要な道具などが収められています。

 輪蔵さんの特徴は、以下のとおりです。

  • 1636年に建立された、江戸時代初期の建造物である。
  • 裳階付き宝形造の銅板葺きの一階建である。
  • 外壁は、極彩色の彫刻で飾られている。
  • 内部には、一切経が収められている。

 輪蔵さんは、日光東照宮さんを訪れた際には、ぜひ見学していただきたい建造物の一つです。

日光東照宮輪蔵さん

日光東照宮輪蔵さん前に到着しました。外観を見た感じ豪華ですね。

日光東照宮輪蔵さん

日光東照宮輪蔵さんの周辺で気になる場所があります。

日光東照宮輪蔵さん

 燈籠です。たくさん並んでいます。

 調べたところ日光東照宮さんには、121基の灯籠が境内内に点在しています。これらの灯籠は、江戸時代初期から中期にかけて、全国の大名や有力者たちが奉納したもので、その豪華絢爛な姿は、東照宮さんの歴史と文化を物語っています。

 灯籠の素材は、石や金属、木材などさまざまですが、その中でも特に有名なのが、伊達政宗さんが奉納した南蛮鉄燈籠です。この燈籠は、高さ約5.5メートル、直径約2.5メートルの巨大な燈籠で、鉄製で、表面は鍍金(メッキ)が施されています。燈籠の胴体には、獅子や龍などの動物や、花や植物などの装飾が施されており、その華麗な姿は東照宮を代表する建築物の一つとなっています。

 ほかにも、薩摩藩主島津家久さん【現在の鹿児島県】が奉納した唐銅燈籠や、金森重頼さんが奉納した石燈籠など、多くの名灯籠が東照宮さんに残されています。これらの灯籠は、江戸時代の技術と美術の粋を結集した傑作であり、その歴史的・文化的価値は非常に高いものとなっています。

 日光東照宮さんを訪れた際には、ぜひこれらの灯籠にも注目してみてください。

 日光東照宮さんの灯籠の特徴は、以下のとおりです。

  • 江戸時代初期から中期にかけて、全国の大名や有力者たちが奉納したものである。
  • 石や金属、木材など、さまざまな素材が用いられている。
  • 獅子や龍などの動物や、花や植物などの装飾が施されている。

 日光東照宮さんの灯籠は、日本の歴史と文化を今に伝える、貴重な文化財です。

 参考までに金森重頼さんとはどんな人物なのか?かなもりしげより1596年10月7日から1650年11月30日に活躍しました。飛騨高山藩の第3代藩主です。

 金森可重さんの三男として、飛騨国高山城で生まれました。1608年徳川家康さんに小姓として仕え、大坂冬の陣で徳川軍として従軍しました。1615年可重さんの死去に伴い、金森家を継いで高山藩3万8千石の藩主となりました。

 重頼さんは、新田開発、鉱山開発などの藩政に勤しみ、飛騨の産業振興に貢献しました。また、茶の湯や和歌などにも優れ、文芸の振興にも努めました。

 1650年54歳で没しました。

 重頼さんの功績は、以下のとおりです。

  • 新田開発、鉱山開発などの藩政に勤め、飛騨の産業振興に貢献した。
  • 茶の湯や和歌などにも優れ、文芸の振興にも努めた。

 重頼さんは、飛騨高山藩の礎を築いた人物として、高山の人々に敬愛されています。

 特に、重頼は新田開発に力を入れ、飛騨の農業生産を飛躍的に向上させました。また、茂住金山や六厩金山などの鉱山開発にも積極的に取り組みました。これらの開発によって、飛騨は豊かな藩へと発展しました。

 また、重頼さんは茶の湯や和歌などにも優れ、文芸の振興にも努めました。重頼さんが招いた茶人は、千宗旦さんや小堀遠州さんなど、当時の茶道界を代表する名人たちでした。また、重頼さんは和歌や連歌にも優れ、多くの作品を残しています。

 重頼さんは、藩政や文化など、さまざまな分野で飛騨高山藩の発展に貢献した、優れた藩主でした。

 ところで飛騨高山藩はどんな場所なのか?江戸時代に飛騨国を領有した藩です。藩庁を高山城現在の岐阜県高山市城山に置きました。

 飛騨高山藩は、徳川家康さんの家臣である金森可重さんが、関ヶ原の戦いで功績を挙げたことで、飛騨国を安堵されたことに始まります。可重さんは、飛騨高山藩の初代藩主となり、藩政の基礎を築きました。

 可重さんの死後、息子の金森重近さんが2代藩主となり、藩政のさらなる発展に努めました。重近さんは、新田開発や鉱山開発などの殖産興業に力を入れ、飛騨を豊かな藩へと導きました。

 飛騨高山藩は、江戸時代を通じて、金森家によって統治されました。金森家は、藩政の安定と文化の振興に努め、飛騨を豊かな藩へと発展させました。

飛騨高山藩の特徴は、以下のとおりです。

  • 徳川家康さんの家臣である金森家によって統治された。
  • 新田開発や鉱山開発などの殖産興業に力を入れ、飛騨を豊かな藩へと発展させた。
  • 茶の湯や和歌などの文化振興にも努めた。

 飛騨高山藩は、江戸時代の飛騨を代表する藩であり、その歴史と文化は、高山の街並みに今も息づいています。

日光東照宮輪蔵さん

燈籠ですがたくさんあります。

日光東照宮輪蔵さん

 日光東照宮中鳥居さんは、仁王門に次いで2番目に大きな鳥居であり、高さ約17メートル、幅約8メートルの唐銅造りです。

 中鳥居さんは、日光東照宮さんの正殿・拝殿へと続く参道の途中にあり、拝殿から約200メートルの位置にあります。

 1769年に日光東照宮さんの造営に携わった鋳物師である二幸屋弥兵衛さんによって建立されました。二幸屋弥兵衛は、唐銅造りの鳥居や灯籠などの技術に優れており、中鳥居もその技術を駆使して造られたものです。

 中鳥居さんは、唐銅製の透かし彫りが施されており、その豪華な装飾は日光東照宮さんの代表的な建築物の一つとなっています。鳥居の左右の柱には、四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)が彫られています。また、鳥居の屋根の下には、想像上の動物である「返り花」や「反り花」が彫られています。

 江戸時代の唐銅造りの鳥居としては最大級のもので、その豪華な装飾は日光東照宮さんの美しさをさらに引き立てています。

 中鳥居さんの特徴は、以下のとおりです。

  • 江戸時代の唐銅造りの鳥居としては最大級である。
  • 四神や「返り花」「反り花」などの彫刻が施されている。

 日光東照宮さんを訪れた際には、ぜひ中鳥居にも注目してみてください。

日光東照宮輪蔵さん

日光東照宮輪蔵さん

燈籠がずらりと並んでいます。

日光東照宮輪蔵さん

燈籠軍団ですね。

日光東照宮輪蔵さん

日光東照宮輪蔵さんを後にします。

住所 〒321-1431 栃木県日光市山内2301-2

電話番号 0288-54-0560


日光東照宮輪蔵さんの感想


日光東照宮輪蔵さんは、すごく豪華なのですが、目の前にある陽明門に目線が行くため、さりげなく注目度が低くなっている建物です。しかし、じっくりと見ていくととても豪華なのがわかります。

アクセス


日光東照宮輪蔵さん

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日光東照宮御水舎さんは2023年12月現在、大変なことになっています。

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日光東照宮神厩舎三猿さんは浮世絵の歌川国芳さんや落語の初代三遊亭圓朝さんの三人猿

 

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