〇日光東照宮神厩舎三猿さんは浮世絵の歌川国芳さんや落語の初代三遊亭圓朝さんの三人猿

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日光東照宮神厩舎三猿さんは、江戸後期から明治時代にかけて流行しました!


日光東照宮神厩舎三猿さんは、文化人たちに影響を与えました!


 こんにちは、夫婦で日光市散策ブログの山田伝太郎です。

 今回は日光東照宮神厩舎三猿さんを紹介させていただきたいと思います。

 さて、日光東照宮神厩舎三猿さんの流行は、江戸時代後期から明治時代にかけてです。主に庶民の間で広まったと考えられています。

 三猿さんは、日光東照宮神厩舎さんに安置されている猿の彫刻です。

 三猿さんは、それぞれ目を押さえている口を押さえている耳をふさいでいる姿をしており、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三戒を表しています。

 三戒は、中国の儒教の教えに基づくもので、悪い事を見ない、聞かない、言わない、という戒めです。

 三猿さんは、日光東照宮さんの完成した江戸時代前期にはすでに存在していましたが、当時は徳川家公の徳を象徴するモチーフとして、主に武士階級の間でのみ親しまれていました。

 しかし、江戸時代後期になると、庶民の生活文化が大きく変化し、三猿さんも庶民の間で広く受け入れられるようになります。

 三猿さんが庶民の間で広まった背景には、いくつかの要因が考えられます。

 一つは、庶民の間で、三戒に代表されるような、善良で穏やかな生き方を理想とする風潮が高まったことが挙げられます。

 また、三猿さんは、江戸時代後期に流行した浮世絵や落語などの芸能作品にも頻繁に登場し、庶民に親しまれるようになりました。

 明治時代になると、三猿さんはさらに広く普及し、現代に至るまで、日本を代表する民芸品の一つとなっています。

 具体的には、江戸時代後期の浮世絵師・歌川国芳さんの三猿や、落語師・初代三遊亭圓朝さんの「三人猿」などが、三猿の流行に大きく影響を与えたと考えられています。

 国芳さんの「三猿」は、三猿を擬人化した風刺画で、当時の社会風刺として人気を博しました。また、圓朝の「三人猿」は、三猿を主人公とした落語で、三戒の教えを説いた作品として、庶民の間で広く親しまれました。

 このように、日光東照宮神厩舎三猿さんは、江戸時代後期から明治時代にかけて、主に庶民の間で広まったと考えられます。

日光東照宮神厩舎三猿さん

日光東照宮神厩舎さんに到着しました。

日光東照宮神厩舎三猿さん

 日光東照宮神厩舎で有名なのは三猿です。

 三遊亭圓朝さんの三人猿の題材の素です。

 あらすじは、ある村に、見ざる、言わざる、聞かざる、の三人兄弟の猿が住んでいました。三猿は、父親から三戒を教えられて育ち、悪い事を見ない、聞かない、言わない、という生き方を心がけていました。

 ある日、三猿は、村で火事が起きているのを見かけました。しかし、三戒を守るために、三猿は火事を見ないように目を押さえて、聞こえないように耳をふさいで、火事のことを誰にも話さずに立ち去りました。

 その結果、火事は村中に広がり、多くの家が焼失してしまいました。村人たちは、三猿の三戒を守る姿に怒り、三猿を追い出してしまいました。

 三猿は、村を追い出された後、山奥でひっそりと暮らすようになりました。しかし、三猿は、村人たちの怒りを理解することができず、どうして自分たちが追い出されたのか分からずにいました。

 ある日、三猿は、山で一人のおじいさんと出会いました。おじいさんは、三猿の三戒の教えを聞いて、三猿にこう言いました。

「見ざる、言わざる、聞かざる、は悪い事を見ない、聞かない、言わない、という教えだが、それはあくまでも、悪い事を見たら、聞いたら、言ったら、その事によって誰かに迷惑をかけてしまう場合の話だ。火事を見たら、聞いたら、言ったら、村人たちの命を救うことができるのに、三戒を守るために何もしないというのは、むしろ悪い事をしていることになるのだ」

 おじいさんの言葉を聞いた三猿は、自分がいかに愚かであったかに気づき、深く反省しました。三猿は、おじいさんの教えを心に刻み、再び村に戻り、村人たちに謝罪しました。

 村人たちは、三猿の反省を受け入れ、三猿を村に迎え入れました。三猿は、村人たちのために、三戒を守りながら、善良で穏やかな生き方を心がけるようになりました。

 この落語は、三戒の教えを説いた作品として、庶民の間で広く親しまれました。また、三猿の愚かさと反省の姿は、当時の庶民の道徳観を反映したものとして、現代でも多くの人々に共感されています。

日光東照宮神厩舎三猿さん

日光東照宮神厩舎さんは江戸後期にまさに庶民に解放された文化の一つなのではないでしょうか?

日光東照宮神厩舎三猿さん

日光東照宮神厩舎三猿さんで流行した記念写真があります。

日光東照宮神厩舎三猿さん

 三猿さんを模した記念写真は、日光東照宮さんを訪れた際によく見られます。

 この場所で三猿さんを背景に三猿さんの姿を真似て、目を押さえた、口を押さえた、耳をふさいだ、というポーズで撮影するものです。

 また神厩舎さんは、三猿の彫刻があるだけでなく、徳川家康公の愛馬「金鯱」の像もあることから、多くの観光客が訪れるスポットです。

日光東照宮神厩舎三猿さん

日光東照宮神厩舎さんには白い神馬がいます。

日光東照宮神厩舎三猿さん

日光東照宮神厩舎三猿さんをぐるりと大勢の方が眺めています。

日光東照宮神厩舎三猿さん

日光東照宮神厩舎三猿さんを撮影している方も多いですね。

日光東照宮神厩舎三猿さん

日光東照宮神厩舎三猿さんについての説明書きもあります。

日光東照宮神厩舎三猿さん

日光東照宮神厩舎三猿さんの前の様子です。

日光東照宮神厩舎三猿さん

日光東照宮神厩舎さんの説明です。

日光東照宮神厩舎三猿さん

日光東照宮神厩舎さんの様子をもう少し別の角度から眺めます。

日光東照宮神厩舎三猿さん

日光東照宮神厩舎三猿さん

日光東照宮神厩舎三猿さん

日光東照宮神厩舎三猿さんを後にします。

住所 〒321-1431 栃木県日光市山内2301-2


日光東照宮神厩舎三猿さんの感想


日光東照宮神厩舎三猿さんは、江戸時代後期から明治時代に大流行しました。武士階級から庶民階級の時代の移り変わりと共に、東照宮さんの文化も広がっていきました。

アクセス


日光東照宮神厩舎三猿さん

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日光東照宮さんにある樹齢370年。徳川家光公が植えた高野槇の現在の姿は?

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【注意されます!】日光東照宮さんの表門に入る時の注意点!うっかりしていました!

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